ラブホテル研究家 ONI

【取材協力】外国人向けの日本のライフスタイルメディア、Tokyo Weekenderでインタビューを受けました。そしてその時考えたこと。

みなさま、こんにちは。近頃めっきりラブホテルに行けていないONIです。
このコロナ禍で、フィールドワークを自粛をせざるを得ないだけでなく、皆さんにラブホテルへ行って欲しいと気軽に伝えられないことも辛いなと感じるここ数ヶ月です。しかし、そんな状況でもラブホテルへの知的好奇心が途絶えることはありません。できる範囲でその好奇心を満たしていくのみです。

さてタイトルにもある通り、外国人観光客や在留外国人向けの日本のライフスタイルメディア、Tokyo Weekenderの6月号にて、日本のラブホテルに関するインタビューを受けました。
外国人向けのメディアでインタビューを受けるのは初めてでしたので、非常に緊張しました。また「ラブホテル」というものを知らない読者も多いであろう中で、ラブホテルとはどんな存在で、どんなところに魅力があり、そしてそこでどんな体験ができるのかを、限られた時間でどう伝えるべきか非常に悩みました。

そんな悩みつつのインタビューがこちらになります。是非ご覧ください。
(全文英語ではありますが…)

こちらのインタビューを受けている中で、印象的だったことがあります。今回の取材のインタビュアーさん(カナダ出身)は、インタビュー以前はラブホテルの独特なインテリアデザインが気になっていたようでしたが、実際お会いし話していると、彼女は日本人の「プライベート空間に対する意識」について驚きを感じているようでした。その驚きは記事にも反映されており、こちらも「そんなに海外と意識の違いがあるのか」と少しびっくりしました。

プライベート空間に対する意識なんて曖昧な言葉を使ってしましましたが、例えば「自分の恋人を自宅に招く時の意識」を想像してみて下さい。
一人暮らしの自宅であるならまだしも、家族の住む実家であれば、それは多くの日本人にとって大きなハードルなのではないでしょうか。
また一人暮らしの家でも、部屋が狭いことや壁が薄いことから、安心して恋人との時間を過ごせないという人もいるかもしれません。

インタビュアーさんの母国カナダでは、恋人と二人になる場所は殆どが自宅であることでした。また、恋人に限らず仲の良い友人を自宅に招く機会も多い印象で、他人が自宅に入ることへの圧倒的なハードルの低さを会話の中から感じました。この自宅というプライベート空間に対する意識の違いが、彼女には驚くべき発見であったようです。

これは私にとっても興味深い内容ではありますが、この話を深めようとすると、ラブホテルだけではなく日本の住宅の歴史も紐解いていかなくてはなりません。残念ながら、それに関しては私は専門外なので深くは語れませんが、確かにラブホテルの発展と戦後日本の住宅の歴史には密接に関係があると思っています。

日本では、住宅が絶対的に不足していた戦後直後から、10年以内に公営住宅法などの住宅に関する様々な法整備がなされ、その後急ピッチで集合住宅が供給されるようになります。
実はそれと並走するように、ラブホテル(当時は連れ込み宿や逆さクラゲ等と呼ばれた)も続々と数を増やしていきます。そして昭和40年代、住宅の量的不足が解消される頃、ラブホテルは全国で5000軒を超え、発展のピークを迎えます。

戦後に大量供給された集合住宅の間取りは、風呂なしの2DKから始まりました。その頃、風呂場のある連れ込み宿には多くの人が訪れ、人気を集めたそうです。
その後、集合住宅にはお風呂ができ、部屋が増え、少しずつ豊かになっていきます。そしてその時住宅の中に不足しているものを補うように、ラブホテルは発展してきた…。二つの歴史を眺めていると、そんな風にも感じられます。

現代日本の住宅に不足しているものは一体何でしょうか。
そして、恋人たちが自宅ではなくラブホテルに求めるものは何でしょうか。
そんなことを考えていたら、日本の住宅の歴史についても勉強をしなくてはと思うようになりました。
私の知的好奇心はまだまだ収まりそうにありません。

【本日の一枚】
外出自粛中に、通販でラブホテルの関連書籍をいくつも購入しました。
写真は1972年に発行されたモーテルの専門雑誌「ザ・モーテル」です。
この頃はまだラブホテルという呼称は普及しておらず、モーテルも性行為の場というよりも、ドライブ旅行の行先もしくは寄り道先の一つとして取り上げられていました。